引退後の理想の暮らしってなんでしょう。もちろん千差万別でありますが、それがどういう理想にせよ引退してからでは限りなく遅いので、何にせよ若いうちから仕込みが必要です。理想は時と共に変わる可能性がありますが、若い頃から仕込むべき不変なことがあります。
一番大事なのは人脈
どんな理想であるにせよ1人で実現できることなんかおそらく存在しないと思います。
理想に向けた高度なスキルを持っていたとしても、実現するのに必要なのは人脈が必要です。
https://www.harrowappi.jp/ja/
ハロウスクールの有名出身者;
ウィンストン・チャーチル – 首相
ジャワハルラール・ネルー – インドの首相
ジョン・ウィリアム・ストラット (第3代レイリー男爵) – ノーベル物理学賞受賞
ジョージ・ゴードン・バイロン – 詩人 スタンリー・ボールドウィン – 首相
ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯) – 首相
ロバート・ピール – 首相
スペンサー・パーシヴァル – 首相
フレデリック・ロビンソン (初代ゴドリッチ子爵) – 首相
ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵) – 首相
ジェームス・ブラント – 歌手
ベネディクト・カンバーバッチ – 俳優
リチャード・カーティス – 脚本家
出典:Wikipedia「ハロウスクール」
チャーチル卿の出身校でしたか。Wikipediaによれば チャーチル卿はハロウスクールでは劣等生だったそうでありまして、卒業後の進路は成績が芳しくなくサンドハースト王立陸軍士官学校に3度目のチャレンジでようやく合格だったそうですが…。
さらにハロウスクールの卒業後の進学先はイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、アメリカのハーバード大学のような世界的にも超一流校に多く進学しているそうです。こういう人たちは頭のキレも抜群なのでしょうが、裕福な家庭であることはほぼ間違いなさそう。
話が飛びましたが、別にハロウスクール卒業生でなく平凡なビジネスパーソンであっても人脈は築けます。
それこそ競合会社の人でもいいし、取引先の人でもいいのです、後輩だって先輩だって上司だって全てが人脈です。
仕事でのスキルや得意分野を知った上で、プライベートで何をやっているのか知るのも重要で、そこで飲み友達であるほうが話が早いのは間違いなさそうです。飲み友達が先だとなかなかその人の大黒柱の得意技がわからないことが多いです。
人脈はGIVE and TAKEです。自分にディメリットはないけどメリットもない状況であっても相手が頼ってくれるならそこは力を貸してあげましょう。返礼を期待してはいけませんが、いずれその人を頼ることになるかもしれません。人脈は肥料と水をやって育て続けないと枯れてしまう植物のようなものです。
転職・転属には積極的に挑む
サラリーマンに転属は不可避ですが、同じ職種での転属だと人脈を増やすのに使えます。職種が変わると自分の経験と分野を広げるの非常に役に立ちます。
いろいろな職種を経験することで、これまで将来の夢と思っていたのが実は本当の夢ではなかったことに気づいたというのもあるでしょう。
ここで筆者の経験を少々書きましょう。
転職は家族の生活もかかりますのである程度慎重に行くべきですが選択権は自分にあります。
転属は被用者の身としては断る権利はほぼゼロで、従わねばならないのが会社勤めの宿命です。であれば、せっかくのチャンスをプラス側に倒しましょう。新しい環境・職種・職場で徹底的に得るものを得るようにする、学べるものを学ぶ、失敗も学習のネタ。全てをプラスに倒します。
これはかならず後々生きてきます。
まとめ
ミドルエイジのうちに描いたリタイア後の道は実際のリタイアまでの間にはころころかわることがある。
どういう道を選ぶにしても、人脈と経験は重要であり、人脈は枯らすことなく育て続け、ビジネスパーソンの宿命である転属は新しいことを学ぶチャンスととらえ徹底的に学び吸い取ることを心がける。
筆者は大学以来ソフトウェア開発に従事してきたのですが、この商売は老人になってもできるものじゃない。いずれはこの職種では食えなくなる。では何をすれば良いのか?その延長でSEとかSAという道もありましたが、それじゃ面白くない。
たまたま異動辞令が出たのが技術サポート部門。これなら開発よりは寿命が長そうですが、技術サポート部門のマネージャーとしてもやはりICT系なのでいつまでも中間管理職が務まるとも思えず。
次の異動辞令は技術畑を離れた技術人材育成部門でした。最初は嫌でしたが、これがやってみると非常に楽しい。新幹線を使う遠距離通勤になりましたが、自分が人材育成分野が好きなのだというのに気づかせてくれた貴重な経験です。技術畑だけを歩いていたら絶対気づかなかったことです。
最後の異動辞令はスタッフ部門。計画部門という名で雑多な業務をいろいろこなさねばならず、全者イベントの裏方も毎年やっていました。技術人材育成部門で毎年行われる技術競技大会では会場責任者としての役割以外に音響・ライブ中継を担当したり(これは趣味の延長でした)していたのが、そのままスタッフ部門でも同様のことをやったりして思わぬ面に経験が生きました。