定年退職になり、あるいは定年後の再雇用を退職して通勤する必要がなくなった方の口から聞くのが「毎日が日曜日」という言葉。しかし、この言葉を他人の前で言ってはいけません。
この記事でわかること
退職して通勤の必要がなくなっても人前で「毎日が日曜日」と言ってはいけないわけ。
毎日が日曜日は禁句である
60歳あるいは65歳で定年退職、再雇用退職して通勤の必要がなくなると、「通勤」側面では確かに毎日が日曜日になります。
「毎日が日曜日」とは城山三郎氏が書かれた小説の題名です。
つい口に出したくなるかもしれませんが、他人の前で軽々と口に出す言葉ではありません。
人前で自分は毎日が日曜日と言ってはいけない理由
他人の受け取り方
小説は別にして「毎日が日曜日」というのは自分にとってどういう意味をもつのかをよく考えて、他人はどう受け取るのかを考えるべきです。
仕事で毎日帰りが遅いビジネスパーソンに向かって「俺は毎日が日曜日」と言うと相手は心の中では羨ましく思う一方で反感も買うでしょう。
- 満員電車に乗らなくていいのは羨ましい。
- 嫌な上司や横柄な取引先のご機嫌を伺わなくていいのは羨ましい。
- 働かないで年金暮らししているけど、その年金は俺たちが働いて支えているんだぞという反感。
- もはや、社会の役に立っていねぇんじゃねぇか?という嫉み。
すごく極端な例です(筆者も高齢者になっていますので誤解なきように)。
現役の人たちには年金受給者を支えるための負担がのしかかっています(年金はこれまでに納めた分をもらっているのではないので誤解なきように)。
いいかえれば「毎日が日曜日」と呑気に言えるのは、言葉を選ばずに言えば「俺はあんたのヒモだ」といっているようなものだからです。
そんなふうにいわれていい気持ちになる人がいるとは思えません。
そこまでいかなくてもいい気持ちはしないのではないでしょうか。少なくとも「呑気なおっさんだ、平和でいいねぇ」と心の中で皮肉られるのがいいところです。
自分のマインドへの影響
日曜日は多くのビジネスパーソンにとっては休日を意味し、日ごろの多忙さから離れてリフレッシュする時間です。
人生に必要なのはメリハリであり、平日忙しく休む暇なく働いて休日はゆったりと過ごす、これはこれでバランスがとれています。
しかし「毎日が日曜日」と他人に向かって言ってしまうことで、なんとなく自分の中で何かのやる気・チャレンジングな気持ちが薄らいでしまうのではないでしょうか?
長いビジネスパーソン生活、日曜日に対する心の反応はそうそう変わるものではありません。
「毎日が日曜日」と公言することで自分の中で「日曜日なんだからあくせすせずのんびりしていればいいじゃないか」という甘えが出てしまいます。筆者も含めて多くの人は鉄の意志を持っているわけではないので、楽な方に流れます。
結果的に、何かにチャレンジしようという気が削がれてしまいます。
何かに果敢にチャレンジし続ける人の口からは絶対に「毎日が日曜日」なんて言葉は出てきません。
毎日が日曜日だからと口に出す人
筆者の同年代にも会社勤めを終えた人は少なからずいますが、その人たちの口から同年代の筆者に対して「毎日が日曜日」だと公言する人は皆無です。
ただし、同年代ではなく一回り近く上の方で「私は毎日が日曜日」だからとことあるごとにおっしゃる方がおられます。
とあるコミュニティの中のメンバーの1人ですが、ご本人は悪気はなくて「時間はたっぷりあるから雑事引き受けるよ」みたいな意味でおっしゃっておられると思うのですが、受け取った私などは「なら、もっとがっつり雑事やってよ、実際全部人に投げる癖に」と反感が心の一部に顔を出します。
何らかのコミュニティ等で、「毎日が日曜日」=「時間があるからやってくれるのね?」という意味でとってくれるよりも、「毎日が日曜日」=「どうせ暇でぼーっとしているんでしょう、あるいはゴルフ三昧ですかね、あなた方の世代は年金も多いしね!」とか悪意に取られることがあるわけです。
人前では何と言えば良いか?
本当に毎日何もすることがない人なんてまずいないのではないでしょうか?
実際問題、自分は何もやっていないわけではなく、どこかで社会と接点を持って生きているはずであり、そこを起点として話を広げた方が良いのです。
・町内会(あるいは何らかのコミュニティ)の世話役を引き受けていてこれが結構仕事が多くてね。
・体を鈍らせてはいけないからジムでトレーニングしているけど、これにハマってしまってね。若い人と一緒にトレーニングするのも楽しくて。
・前からやりたかった趣味の楽器の練習を始めたけど、なかなかうまくならなくて。結局いい歳して教室とか通い始めてさ。
・体を悪くしてしまって、あまり体は動かせないけど、インターネットを使ってコミュニティに参加して若い人の相談を受けたりしているよ。
人の役に立つこと、立たない(ようにみえる)ことなどいろいろですが、食って・寝ているだけじゃないはずなのです。
前向きに程度の差はあれどもチャレンジし続けていることをむしろ公言すべきなのです。